銘石・小松石
まちの形を作った石
神奈川県の西端部に位置する真鶴町。そこに、現在日本で稼働している中では日本最古の石材産業があります。小松石は、そこで採られます。箱根火山の噴火から数十万年の時を経て、人の手によって、一つずつ掘り出し、見出されます。掘り出されたその石は、赤褐色の“ 皮” に包まれ、磨くと輝きます。
真鶴の石の歴史は、文字通り、このまちの形を作ってきました。町のおよそ半分を占める真鶴半島は、江戸時代に石が切り出された岩壁が多く、海岸線にもその跡が残っています。町中にも、石像や石垣がいたるところで見られます。
小松石とは
古くは伊豆から西湘地域にかけて採れるものが、「伊豆石」「相州石」と総じて呼ばれていましたが、現在では真鶴町のみで採掘が行われており、町内の山間部である小松山(小松原とも)にちなんだ「小松石」という呼称が一般的になっています。
小松石の中でも、江戸時代の石材が最も盛んに産出されていた時期に半島部から採られていた「新小松石」、現在も続いている山間部を切り開いて産出されている「本小松石」があり、また、本小松石は各丁場(採石場のこと)でもそれぞれ石の質が異なっています。
粘り強く、耐久性に優れていることが特徴で、主な使用用途は、墓石、石垣をはじめとする建築・土木資材、その他装飾加工品などです。江戸城や小田原城の石垣、源頼朝、徳川家など歴史的人物や、芥川龍之介、美空ひばりといった著名人の墓、その他記念碑や慰霊碑といった、強く、そして長く後世に残すものとして使用されています。
岩石としての特徴
小松石を大きく特徴付けている要因として、溶岩が地表に近い場所で冷えてできた「輝石安山岩」の一つであることが挙げられます。急速に冷えたために、石を構成する結晶が小さく密で、耐久性や耐火性に優れています。また、採掘する丁場や深さによって成分に微妙な変化があり、それが石の色に現れます。
墓石に多く使われる御影石などが属する「花崗岩」、大谷石などが属する「凝灰岩」などと違い、小松石は地層として大きな塊になっておらず、“石を切り出す”というよりも、“石を掘り出して”産出されます。
また地中に埋まっている間は、鉄分を多く含む赤褐色の“ 皮” に包まれおり、加工した後も、時間が経つことで石表面の鉄分が酸化し、表情に深みが出ることも特徴です。
真鶴町の
石材産業の歴史